
今週、私はJRキューポ20%増量交換の記事を書いた。そして先ほど公開されたようである。書いた、といっても、別に血と汗のにじむような大作ではなく、開催日と条件と注意点を、せっせと拾い集めて並べただけの話である。
しかし、地味に書いているうちに、だんだん自分でも気になってきた。500ポイントが600円分。つまり20%増量。しかも上限20万ポイントまで交換可能。こういう数字を見ると、人はつい「上限までいったらどれだけ得なのか」と計算したくなる。私もした。20万ポイントで24万円分。なるほど、書いていてもなかなかの迫力である。ポイントの話なのに、急に現金のような顔をしてくるから油断ならない。
そして、ちゃんと交換できるだけのポイント量を確保しているのである。

だが、ここで私は、冷静になった。いや、冷静になったというより、少し怖くなったのである。そもそも6月末までに24万円もJR博多シティで買い物をするのか。私は自分の生活を知っている。服をそんなに買う人間でもないし、しゃれた雑貨をぽんぽん買うタイプでもない。見に行って、いいなと思って、結局なにも買わずに帰ってくることなら得意だ。買い物における私の決断力は、ぬるくなったゼリーくらい頼りない。
昔、百貨店の商品券を少し持っていたときもそうだった。「券があるから今日は何か買おう」と思って出かけたのに、結局、地下でちょっと高いお菓子を買って終わった。しかもそのお菓子を食べながら、「商品券の使い道としては小さいな」と思った記憶がある。人は自由なお金より、使い道が決まった券のほうが、なぜか急に慎重になる。あれは不思議である。現金なら平気でコンビニで散るのに、商品券になると急に人格者みたいな顔になるのだ。
それに、20万ポイント交換というのは、数字だけで少し変態っぽい。もちろん本当の変態ではない。ポイントに真剣なだけである。しかし、交換会場で「この人、20万いくんだ」と周囲に思われるのは、なんだか恥ずかしい。誰も私のことなど見ていないとは思う。世の中はそこまで他人に興味がない。それは頭では分かっている。だが、こういうときの自意識というのは、押し入れの奥から急に出てくる昔のアルバムみたいに、見たくないのに存在感だけはあるのだ。
この経験は過去に何度もある。だいたいのポイントカードのポイントは店員側のレジで確認できる。過去にはローソンで外国人の店員さんに「ドウヤッテタメタンデスカ?」って聞かれたこともある。マルイではクレープ屋さんで「エポスポイントこんなに持っている人初めて見ました。」と雑談されたこともある。大阪駅でおじちゃんに「WESTERポイント……(以下略)。
すべて「いやー、、、」と全部はぐらかした。
もし窓口で、同じ目に合ったらどうしようと私は勝手に想像する。そんなわけはない。係の人は忙しい。20万ポイントの客が来ようが、500ポイントの客が来ようが、たぶん同じ顔で対応する。それでもこちらは勝手に、「この人、本気だな」と思われる気がしてしまう。本気なのは事実だが、知られたくない本気というものもある。
記事には「大量に交換する人はご注意ください」と、わりと落ち着いた文で書いた。実に他人事のようである。しかしその「大量に交換する人」は、かなり私のすぐ近くにいる。いや、私である。自分で書いて、自分で刺さる。こういうことがたまにあるから文章は怖い。
ということで、私は無難に5万ポイント交換くらいにしておこうと思う。5万ポイントなら6万円分。これならまだ現実味があるし、もし交換会場で誰かに見られても、「ああ、ほどほどにお得を回収した人だな」くらいで済みそうである。そんな分類が世の中にあるのかは知らないが、私の中にはある。
結局、お得というのは、得を最大化することではなく、自分が気まずくならない範囲で拾うのがちょうどいいのかもしれない。ポイントの世界でまで無理をしても仕方がない。私はたぶん、これからも少し日和りながら、ほどほどに得をして、ほどほどに満足するのだと思う。まあ、そのくらいが、いちばん私らしいのである。