
私の手元から、ひとつの文明が消えたのである。
文明というと大げさだが、正確には AnkerのAnker Prime Power Bank である。あの、いかにも「できる人が持っていそう」な顔つきの、黒くて重たいモバイルバッテリーだ。私は別にできる人ではないのだが、持ち物だけはできる風にしておきたいタイプなのである。
あれを買ったとき、私はちょっとした未来を手に入れた気分だった。残量表示がデジタルで出るのがうれしくて、意味もなくボタンを押しては「98%」とか「100%」を確認していた。充電が満タンだと、なぜか自分まで満たされた気分になるから不思議である。
それが、1年半で消えた。
発端は、ホテルのチェックアウト前の数分間だった。私は部屋の隅で、例のバッテリーをコンセントにつなぎながら、こう考えていた。
「どうせなら、ギリギリまで充電しておこう」
貧乏性なのである。電気代は私のものではないのに、なぜか最後の1%まで吸わせないと損をする気がする。スーパーの試食を遠慮しつつも、心の中では「もう一周いけるかもしれない」と思っている、あの感じに似ている。
私は荷物をまとめ、身支度を整え、「よし完璧」と思って部屋を出た。完璧と思った瞬間ほど、完璧でないのが人生である。
空港で、ふとカバンの中を探った。妙に軽い。あの、ずっしりとした安心感がない。
そこで私は、映画の主人公のように静かに悟った。
「あ、置いてきたな」
飛行機に乗る前に気づいたのが、せめてもの救いなのか絶望なのかよくわからない。とにかく私は空港の片隅でホテルに電話をした。少し期待しながら。
だが答えは、あっさりしていた。
「そのようなお忘れ物は届いておりません」
そう言われると、それ以上は言えないのである。私は探偵ではないし、推理ドラマの主人公でもない。「いや、あるはずです」と食い下がる勇気もない。ああ、そうですか、と電話を切った。
電話を切ったあとの、あの静かなもやもや。
怒るほどでもない。泣くほどでもない。ただ、心の中に小さな消しゴムのカスのような感情が残る。払っても払っても、机の上に残るあれである。
私は昔から、こういう「確信はあるが証拠はない」状況に弱い。小学生のとき、机の中に入れておいたお気に入りの消しゴムが消えたことがあった。あれも、誰かが持っていった気がするのだが、証拠はない。先生に言うほどのことでもない。結局、「まあいいか」と言いながら、三日は引きずった。
大人になっても、やっていることはあまり変わらない。
そもそも、ギリギリまで充電しようとしなければよかったのだ。チェックアウトの十分前にコードを抜いていれば、今ごろ私のカバンの中で、あの頼もしい重量感を放っていたはずである。
欲張りはよくない。
とはいえ、あの1%をあきらめられないのが私なのである。
もうそのホテルには泊まらないだろう、と思いながら、実際には立地がよければ普通に予約してしまう気もしている。人間の決意というのは、充電残量よりもあやふやだ。
あのバッテリーは今ごろ、どこで何%なのだろう。100%で誰かのスマホを救っているのか、あるいは誰にも気づかれず、引き出しの奥で眠っているのか。
考えても仕方がない。
私はまた、新しいモバイルバッテリーを探し始めている。反省というのは、だいたい次の買い物までの短い期間しかもたないのだ。
次こそは、チェックアウトの五分前にはコードを抜こうと思う。
思うだけは、タダなのである。